就活日記だった

快眠ルーティンの一環

6/10

大雨だった。

気づかないうちにかくれんぼ部室にあったロボットが捨てられていた。頭がショートした。
その日は元々部室大掃除と決まっていて、捨てないで欲しいものを事前申告する制度もあった中で誰もそのロボットの名を出していなかったのはもちろん悪かっただろう。でもまさかあんなに面白くて、皆が面白がってて、何より私達の思い出が詰まったものが捨てられるとは思いもしなかった。というか、同窓会員2名が共同出資で買った物なのにその2人の許可無く捨てるのは人として如何なものか。

その場の盛り上がりで捨ててしまった様子が目に浮かぶ。実際捨てたあとの画像をTwitterにあげている人がいたのも浮かれている姿の表れじゃないか(でもこれがなかったら捨てられたことを知らずに終わっていたのでそこはその方の自己顕示欲に感謝したい)。何が捨てる派が多かった、だ。私は明日拾いに行くぞ。

私は何よりも自分の思い出を蔑ろにされることが大嫌いなので今深く傷ついている。今までの人生で一番泣いたのが、自分の出演した演劇を心無い言葉で汚された時だったのだけれど、今はそれと同じくらい空虚な気持ちになっている。

お前らもロボット見て笑ってたじゃんか。確かに最近動かしてもいなかったけどそこに思い出があるだとか、これからもそれで遊びたい人がいるだとか、捨てられたら持ち主だった人がどう思うだろうかとか、そういう発想に至らなかったのか。こういうもどかしさも全て「事前申告しないのが悪い」「当日掃除に来ないのが悪い」で済まされるのか?だったら私は言いたい。「捨てたお前らのセンスが悪い」と。


捨てられたことに関してはもう一回拾いに行くという行為でカタがつくが、捨てたヤツらのセンスとデリカシーの無さについては今後も背負っていかなければならない。誰がいたのか知らないが、そこにいたヤツらとは一生同じ国ではやっていけないと思う。どうせこういう文章を読んだらヤツらは「こんなことでムキになっててウケる(笑)」とか言うんだろう。人の気持ちを分からずに面白くもねえことで笑ってるヤツらはなるべく早めに惨たらしく死んでくれ。生きてる価値もない。